2010/09/13

【現代語訳】雑説(韓愈)

世の中に伯楽(馬を見分ける名人)がいて、それでいて千里を走れる名馬が見出されるのである。
千里の馬というものはいつもいるのだが、伯楽はいつもいるわけではない。
よって名馬がいたとしても(それを見抜ける人がいないために)ただの奴隷人の手によって粗末に扱われ、
ほかの駄馬と一緒に首を並べて死んでいき、千里を走る名馬と誉められることがなく終わってしまうのである。
そもそも千里の走る名馬というものは時には一食に穀一石を食べ尽くしてしまうものである。
しかしながら馬を飼う人はその馬が千里を走る能力があることを知って育てているのではない。
だからこの名馬は千里を走れるとしても、食物の量が不十分なので
力を充分に発揮することができず持って生まれた素質の良さを表に出すことがない。
ではせめて普通の馬と同じように有りたいと望んでもそれも駄目である。
どうしてその馬の千里を走ることを求められようか。
(飼い主は馬を働かせようと)鞭を使う際に名馬に対するような扱いをせず、
育てるのにその才能を存分に発揮させられることもできない。
馬は鳴いて訴えてもその思いを飼い主に伝えることもできない。
飼い主はむちを手にして、名馬に向かって嘆いてこう言う、「この世には優れた馬はいない」と。
ああ、いったい本当に名馬がいないのか、それとも本当に名馬を知らないのではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿