2010/09/23

【原文】心に残る夕影(「源氏物語-第十三章第六段~第九段-若菜上」紫式部)

いと労ある心ばへども見えて、 数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額少しくつろぎたり。
大将の君も、御位のほど思ふこそ例ならぬ乱りがはしさかなとおぼゆれ、見る目は人よりけに若くをかしげにて、桜の直衣のややなえたるに、指貫の裾つ方少しふくみて、気色ばかり引き上げ給へり。
軽々しうも見えず、もの清げなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝少し押し折りて、御階の中のしなのほどにゐ給ひぬ。
督の君続きて、
「花乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ。」
などのたまひつつ、宮の御前のかたを後目に見れば、例の、ことにをさまらぬ気配どもして、いろいろこぼれ出でたる御簾のつまづま、透影など、春の手向の幣袋にやとおぼゆ。

御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、少し大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふ気配ども、衣のおとなひ、耳かしかましき心地す。
猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物に引き掛けまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾のそばいとあらはに引き上げられたるを、とみにひき直す人もなし。
この柱のもとにありつる人々も、心あわたたしげにて、ものおぢしたる気配どもなり。

几帳のきは少し入りたるほどに、袿姿にて立ち給へる人あり。
階より西の二の間の東のそばなれば、紛れどころもなくあらはに見入れらる。
紅梅にやあらむ、濃き薄きすぎすぎにあまた重なりたるけぢめはなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。
御髪の裾までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七、八寸ばかりぞあまり給へる。
御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへるそばめ、言ひ知らずあてにらうたげなり。
夕影なれば、さやかならず奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。
鞠に身をなぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬ気色どもを見るとて、人々、あらはをふともえ見つけぬなるべし。
猫のいたく鳴けば、見返り給へる面持ち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。

大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶき給へるにぞ、やをら引き入り給ふ。
さるは、我が心地にも、いと飽かぬ心地し給へど、猫の綱許しつれば、心にもあらずうち嘆かる。
ましてさばかり心をしめたる衛門の督は、胸ふとふたがりて、たればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御気配など、心にかかりておぼゆ。
さらぬ顔にもてなしたれど、まさに目とどめじやと、大将はいとほしくおぼさる。
わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いとかうばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、すきずきしきや。

【現代語訳】心に残る夕影(「源氏物語-第十三章第六段~第九段-若菜上」紫式部)

たいそう蹴鞠に興じている人々の練達した技量が見えて、蹴鞠の回数が多くなっていくにつれて、身分の高い人も(衣が)乱れて、冠の額(のあたり)が少しゆるんできた。
大将の君(右大将夕霧…源氏の長男)も、ご身分を考えれば、いつもとは違う乱れ方だと思われるが、見た目は人より違って格別に若く美しくて、桜の直衣で少し柔らかくなったものに(なっているのを召して)、指貫の裾の方が少しふくらんで、気持ちほど引き上げていらっしゃった。
軽い身分には見えず、なんとなくさっぱりとして美しい寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかるので、ちょっと見上げて、萎れた枝を少し押し折って、寝殿正面にある階段の中段あたりにお座りになった。
督の君(右衛門督柏木)も続いて、
「花びらが乱れて散るようですね。桜は避けて(吹いて)くれれば良いのに。」
などとおっしゃりながら、女三の宮のお部屋のほうを横目に見ると、いつものように、何かしまりのない様子で、色とりどりの女房たちの着物の袖口がこぼれ出ている御簾の端々や、透影などが、春に奉る幣袋かと思われて見える。

御几帳類をだらしなく片隅に寄せて、人の様子が近くて世間ずれ(男なれ)しているように思われるところに、唐猫でとても小さくてかわいらしいのを、ちょっと大きめの猫が追いかけて、急に御簾の端から走り出すと、女房たちはおびえ騷ぎ立て、ざわざわと身じろぎ(右往左往)し、動き回る様子や、衣の音がやかましく思われる。
猫は、まだよく人に馴れていないのであろうか、綱がたいそう長く付けていたのを、物に引っかけまつわりついたが、逃げようとして引っ張るうちに、御簾の端がたいそうはっきりと中が見えるほど引き開けられたのを、すぐに直す女房もいない。
この柱の側にいた人々も慌てているらしい様子で、物怖じしている様子である。
几帳の側から少し奥まった所に、袿姿で立っていらっしゃる方がいる。
寝殿の中央の階段から西へ二つ目の間の東側の端なので、隠れようもなくすっかり見通すことができる。
紅梅襲であろうか、濃い色薄い色を、次々に、何枚も重ねた色の変化、派手で、草子のはしのように見えて、桜襲の織物の細長なのであろう。
お髪が裾までくっきりと見えるところは、糸をよりかけたようになびいて、裾がふさふさと切り揃えられているのは、とてもかわいい感じで、七、八寸ほど身に余っていらっしゃる。
着物の裾が余って、とても細く小柄で、姿つき、髪のふりかかっていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど気高くかわいらしげである。
夕日の光なので、はっきり見えず、奥暗い感じがするのも、とても物足りなく残念である。
蹴鞠に夢中になっている若公達の、花の散るのを惜しんでもいられないといった様子を見ようとして、女房たちは、まる見えであるのを少しも見つけることができないのであろう。
猫がひどく鳴くので、振り返りなる顔つき、物腰などは、とてもおっとりとして、若くかわいい方だなあと、少しだけ見えた。

大将は、たいそう苦々しいけれど、はい寄っていくのもかえって軽率なので、ただ気付かせようと、咳払いなさったので、静かにお入りになる。
そうとはいえ、自分ながらも、とても物足りない気持ちがなさったが、猫の綱を放したので、心にもなく少しため息をついた。
まして、あれほど女三の宮のことで心がいっぱいになっていた衛門督は、胸がつまって、他の誰でもない、大勢の中ではっきりと目立つ袿姿からも、他の人と間違いようもなかったご様子など、心に忘れられなく思われる。
何気ない顔を装っていたが、目をつけなかったはずがあろうかと、大将は困った事になったと思わずにはいられない。
たまらない気持ちの慰めに、猫を招き寄せて抱き上げてみると、とてもよい匂いがして、かわいらしく鳴くのが、うつくしく思いなぞらえられるとは、好色めいたことであるよ。

2010/09/13

【現代語訳】雑説(韓愈)

世の中に伯楽(馬を見分ける名人)がいて、それでいて千里を走れる名馬が見出されるのである。
千里の馬というものはいつもいるのだが、伯楽はいつもいるわけではない。
よって名馬がいたとしても(それを見抜ける人がいないために)ただの奴隷人の手によって粗末に扱われ、
ほかの駄馬と一緒に首を並べて死んでいき、千里を走る名馬と誉められることがなく終わってしまうのである。
そもそも千里の走る名馬というものは時には一食に穀一石を食べ尽くしてしまうものである。
しかしながら馬を飼う人はその馬が千里を走る能力があることを知って育てているのではない。
だからこの名馬は千里を走れるとしても、食物の量が不十分なので
力を充分に発揮することができず持って生まれた素質の良さを表に出すことがない。
ではせめて普通の馬と同じように有りたいと望んでもそれも駄目である。
どうしてその馬の千里を走ることを求められようか。
(飼い主は馬を働かせようと)鞭を使う際に名馬に対するような扱いをせず、
育てるのにその才能を存分に発揮させられることもできない。
馬は鳴いて訴えてもその思いを飼い主に伝えることもできない。
飼い主はむちを手にして、名馬に向かって嘆いてこう言う、「この世には優れた馬はいない」と。
ああ、いったい本当に名馬がいないのか、それとも本当に名馬を知らないのではないか。

【書き下し文】雑説(韓愈)

世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖ども、祇だ奴隷人の手に辱められ、
槽櫪の間に駢死し、千里を以て称せられざるなり。
馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。
馬を食ふ者は其の能く千里なるを知りて食はざるなり。
是の馬千里の能有りて雖ども、食飽かざれば、
力足らず、才の美外に見れず。
且つ常馬と等しからんと欲するも、得べからず。
安くんぞ其の能く千里なるを求めんや。
之に策うつに其の道を以てせず。
之を食ふに其の材を尽くさしむる能はず。
之に鳴けども其の意に通ずる能はず。
策を執りて之に臨みて曰はく、「天下に良馬無し。」と。
鳴呼、其れ真に馬無きか、其れ真に馬を識らざるか。

【白文】雑説(韓愈)

世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有、而伯楽不常有。
故雖有名馬、辱於奴隷人之手、
駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
馬之千里者、一食或尽粟一石。
食馬者、不知其能千里而食也。
是馬也、雖有千里之能、食不飽、
力不足、才美不外見。
且欲与常馬等、不可得。
安求其能千里也。
策之不以其道。
食之不能尽其材。
鳴之而不能通其意。
執策而臨之曰、「天下無馬。」
嗚呼、其真無馬邪、其真不知馬也。

2010/09/12

【書き下し文】慈恵亡国(韓非子)

魏の恵王卜皮に謂ひて曰はく、「子寡人の声聞を聞くこと亦何如。」と。
対へて曰はく、「臣王の慈恵なるを聞けり。」と。
王欣然として喜びて曰はく、「然らば則ち功且に安くにか至らんとする。」と。
対へて曰はく、「王の功は亡ぶるに至らん。」と。
王曰はく、「慈恵は行ひの善なるものなり。
之を行ひて亡ぶとは何ぞや。」と。
卜皮対へて曰はく、「夫れ慈とは忍びざるにして、恵とは与ふるを好むなり。
忍びずんば則ち過ち有るを誅せず。
予ふるを好まば則ち功有るを待たずして賞せん。
過ち有りて罪せず。
功無くして賞を受く。
亡ぶと雖へども亦可ならずや。」と。

【白文】慈恵亡国(韓非子)

魏謂恵王卜皮曰、「子聞寡人之声聞、亦何如焉。」
対曰、「臣聞王之慈恵也。」
王欣然喜曰、「然則功且安至。」
対曰、「王之功至於亡。」
王曰、「慈恵行善也。
行之而亡何也。」
卜皮対曰、「夫慈者不忍、而恵者好与也。
不忍則不誅有過。
好予則不待有功而賞。
有過不罪。
無功受賞。
雖亡不亦可乎。」

【現代語訳】慈恵亡国(韓非子)

魏の恵王がト皮に「あなたの聞くところでは、私の評判はどうですか。」と訊いた。
それに答えて、「臣は王が慈恵であると聞いています。」
王は大喜びして言うには、「そうであるならばその功績はどこに至るのだろうか。」
それに答えて、「王の功績は国を亡ぼすでしょう。」と言った。
王は、「慈恵を行うことは善いことであるのに、これを行って国が亡びるとはどういうことなのか。」と言う。
ト皮は、「そもそも慈とは人の不幸を見過ごすことのできない情け深い心であり、恵とは与えることを好むことです。
情け深い心では、過失があっても罰することができません。
与えることを好むのでは、功績あるのを待たずに賞するでしょう。
過失があっても罪とせず。
功績がなくても賞を授かる。
亡びると言っても可能ではないのでありませんか。」と。

2010/09/11

【白文】曳尾於塗中(荘子)

荘子釣於濮水。
楚王使大夫二人往先焉。
曰、「願以竟内累矣。」
荘子持竿不顧。
曰、「吾聞、楚有神亀、死已三千歳矣。
王巾笥而蔵之廟堂之上。
此亀者、寧其死為留骨而貴乎、寧其生而曳尾於塗中乎。」
二大夫曰、「寧生而曳尾塗中。」
荘子曰、「往矣。吾将曳尾於塗中。」

【書き下し文】曳尾於塗中(荘子)

荘子濮水に釣る。
楚王大夫二人をして往きて先んぜしむ。
曰はく、「願はくは竟内を以て累はさん。」と。
荘子竿を持して顧みず。
曰はく、「吾聞く、楚に神亀有り、死して已に三千歳なり。
王巾笥して之を廟堂の上に蔵すと。
此の亀なる者は、寧ろ其れ死して骨を留めて貴ばるるを為さんか、寧ろ其れ生きて尾を塗中に曳かんか。」と。
二大夫曰はく、「寧ろ生きて尾を塗中に曳かん。」と。
荘子曰はく、「往け。吾将に尾を塗中に曳かんとす。」と。

【現代語訳】曳尾於塗中(荘子)

荘子は濮水で釣りをしていた。
楚王が二人の使いが先に遣わして、王の意向を伝えさせた。
「どうか国内の政治についてあなたの手を煩わせたい。」
荘子は竿を握ったまま、ふり向きもせずいった。
「話に聞けば、楚の国に霊験あらたかな亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。
王はそれを大切に布で包み、箱に収めて、霊廟の御殿の上に保管されている。
この亀の身になれば、かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、それよりは、いっそ生きながらえて泥の中で尾をひきずることを望むであろうか。」と。
二人の使いは、「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾を尾をひきずることを望むでしょう。」と答える。
荘子はこう言った、「お帰りなさい。わたしもまさに尾を泥の中にひきずろうとするのだ。」

2010/09/10

【現代語訳】夢為蝴蝶(荘子)

昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらと飛び回る様子は胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。
にわかに目覚め、きょろきょろしているとなんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。
しかし、荘周と胡蝶とには、はっきりした区別があるはずである。
こういうのを、「物化(万物の変化の姿)」というのである。

【書き下し文】夢為蝴蝶(荘子)

昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩みて志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。

【白文】夢為蝴蝶(荘子)

昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。

2010/09/09

【現代語訳】二柄(韓非子)

賢明な君主が家臣を思い通りに動かす方法は、二つの柄のみである。
二つの柄とは、刑罰と恩賞である。
何を刑徳と言うのか。
「殺戮(死刑を伴う刑罰を行うこと)を刑と言い、慶賞(褒美を与えること)を徳と言う。」
君主の家臣という者は、死刑にされることを恐れ、褒美を受けることを自分の利益とする。
ゆえに君主は自分でその刑徳を使えば、群臣たちは威光を恐れて褒美を得ようと努めるようになる。
それゆえ世の腹黒い家臣はそうさせないのである。
(悪臣が)憎むべき者にはすぐに上手に刑罰を行う権利を君主から奪い(憎むべき者に)刑罰を与え、(悪臣が)寵愛している者にはすぐに上手に褒美を与える権利を君主から奪って(寵愛している者に)褒美を与える。
今の君主は賞罰の威光と利益を自分で与えることはなく、家臣と相談して賞罰を行えば、その国の人は皆、その家臣を恐れて君主の方を軽く見るようになり、心はその家臣の元に集まり、君主の元から離れるようになる。
これは君主の刑徳を失ったための害である。

そもそも虎が狗を服従させる原因は、(その虎の)爪と牙である。
(虎から)その爪と牙をはずして狗にそれを用いさせると、虎は反って狗に服従するようになる。
君主は、刑徳を用いて家臣を統制しているのである。
今君主は、その刑徳を捨てて家臣に用いさせると、君主は反って家臣に統制されるようになる。

故に斉の田常は、君主に爵位や俸禄をねだり、それを家臣に分け、人民には大きな桝目を用いて、恩恵を施した。
これは簡公が徳を施す権限を失い、田常が常にその権利を用いるようになったということである。
それゆえ簡公はついに殺されたのである。
 
宋の子罕が、君主に話すには、「そもそも褒賞や賜与というものは、民の喜ぶものです。
君主自らそれを与えてあげてください。
刑罰というものは、民の嫌がるものです。
どうかそれは私にお任せください。」と。
こうして君主は刑罰権を失い、子罕がこれを用いるようになった。
それゆえ宋の君主はついに生命を危険にさらされたのである。

(田常は徳の柄を行使しただけで、簡公は殺されこととなり、子罕は刑の柄を行使しただけで、宋の君主は生命を危険にさらされることとなった。)

今の人臣は、刑徳を手に入れ行使しているので、世の君主の危険は、簡公や宋の君主のときよりひどくなっている。
故に臣下に殺されたり、真実を知らされなくなった君主は、刑徳の両方を失い、家臣がこれを行使するようになり、しかも身に危険がないというものは、これまであったためしがない。

【白文】二柄(韓非子)

明主之所導制其臣者、二柄而已矣。
二柄者刑德也。
何謂刑德。
曰、「殺戮之謂刑、慶賞之謂德。」
為人臣者、畏誅罰而利慶賞。
故人主自用其刑德、則群臣畏其威而帰其利矣。
故世之姦臣則不然。
所悪則能得之其主而罪之、所愛則能得之其主而賞之。
今人主非使賞罰之威利出於己也、聴其臣而行其賞罰、則一国之人、皆畏其臣而易其君、帰其臣而去其君矣。
此人主失刑德之患也。

夫虎之所以能服狗者、爪牙也。
使虎釈其爪牙、而使狗用之、則虎反服於狗矣。
人主者、以刑德制臣者也。
今君人者、釈其刑德、而使臣用之、則君反制於臣矣。
故田常上請爵禄而行之群臣、下大斗斛、而施於百姓。
此簡公失德、而田常用之也。
故簡公見弑。
子罕謂宋君曰、「夫慶賞賜予者、民之所喜也。
君自行之。
殺戮刑罰者、民之所悪也。
臣請当之。」
於是宋君失刑、而子罕用之。
故宋君見劫。

(田常徒用德而簡公弑、子罕徒用刑而宋君劫。)

故今之為人臣者、兼刑德而用之、則是世主之危、甚於簡公・宋君也。
故劫殺擁蔽之主、并失刑德、而使臣用之、而不危亡者、則未嘗有也。

【書き下し文】二柄(韓非子)

明王の其の臣を導制する所の者は、 二柄のみ。
二柄とは刑徳なり。
何をか刑徳と謂ふ。
曰はく、「殺戮之を刑と謂ひ、慶賞之を徳と謂ふ。」と。
人臣為る者は、誅罰を畏れて慶賞を利とす。
故に人主自ら其の刑徳を用ゐれば、則ち群臣其の威を畏れて其の利に帰す。
故に世の姦臣は則ち然らず。
悪む所は則ち能く之を其の主に得て之を罪し、愛する所は則ち能く之を其の主に得て之を賞す。
今人主賞罰の威利をして己に出でしむるに非ず、其の臣に聴せて其の賞罰を行はば、則ち一国の人、皆其の臣を畏れて其の君を易り、其の臣に帰して其の君を去る。
此れ人主刑徳を失ふの患なり。

夫れ虎の能く狗を服する所以の者は、爪牙なり。
虎をして其の爪牙を釈てしめて、狗をして之を用ゐしめば、則ち虎反つて狗に服せられん。
人主なる者は、刑徳を以て臣を制する者なり。
今人に君たる者、其の刑徳を釈てて、臣をして之を用ゐしめば、則ち君反つて臣に制せられん。
故に田常は上は爵禄を請ひて、之を群臣に行ひ、下は斗斛を大にして、百姓に施せり。
此れ簡公徳を失ひて、田常之を用ゐるなり。
故に簡公弑せらる。
子罕宋君に謂ひて日はく、「夫れ慶賞賜予は、民の喜ぶ所なり。
君自ら之を行へ。
殺戮刑罰は、民の悪む所なり。
臣請ふ之に当たらん。」と。
是に於いて宋君刑を失ひて、子罕之を用ゐる。
故に宋君劫さる。

故に今の人臣為る者、刑徳を兼ねて之を用ゐれば、則ち是れ世主の危ふきこと、簡公・宋君よりも甚だしきなり。
故に劫殺壅蔽の主は、刑徳を并せ失ひて、臣をして之を用ゐしむるものにして、而も危亡せざる者は、則ち未だ嘗て有らざるなり。

2010/09/08

【現代語訳】心づくしの秋風(「源氏物語」紫式部)

須磨では、ますます物思いの限りを尽くさせる悲しい秋風で、海は少し遠いけれど、行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという浦波が、夜毎に本当にすぐ近くに聞こえて、またとなくしみじみとするのはこのような場所の秋であるのだなあ。

御前にはとても人が少なくて、みんな少し寝入っている時に、(源氏が)ひとり目を覚まして、枕を立てて四方の激しい風をお聞きになると、波がすぐここに来るような気持ちがして、涙が落ちたとも気付かずに、(涙で)枕が浮くほどになってしまった。琴の琴(きんのこと)を少しかき鳴らしなさったが、自分でもとても物寂しく聞こえるので、弾くのをおやめになり、

 恋に悩んで泣く声に聞き間違いそうな浦波(の音)は、私のことを思っている人(紫の上)のいる方角(都)から風が吹くからであろうか。

とおうたいになっていると、人々が目を覚まして、素晴らしいと思われて、こらえきれなくなって、訳もなく起きて座り、みんな鼻をそっとかんでいる。
「本当に(この者達は)どのような思いでいるのだろう。私一人のために、親兄弟や片時も離れるのがつらく、身の程につけて(大切に)思っているのであろう家を離れ、このように悲しい思いをしている」とお思いになると、不憫で、『たいそうこのように思い沈んでいる様子を、心細いと思っているだろう』とお思いになったので、昼は何かと冗談などをおっしゃって気を紛らわし、手持ちぶさたに、色々な紙を継いでは手習いをなさり、珍しい唐の織物などに、様々な絵を気分にまかせてお描きになるが、屏風の表面の絵などは、実に素晴らしく見所のあるものだった。
人々がお話し申し上げた海や山の様子を、はるかに想像していたのが、間近にご覧になると、実に想像も及ばぬ磯のたたずまい、またとないほどお描き集めになる。
「この頃の名人と評判の、千枝や常則などをお呼びになって、彩色させたいものだ。」と、じれったく思っている。
親しみ深く素晴らしいご様子に、世のつらいことも忘れて、お側にお仕え申し上げることをうれしいこととして、四、五人ほどがいつもお仕えしていた。

植え込みの花が色々咲き乱れ、風情のある夕暮れに、海を見渡せる廊にお出でになって、たたずんでいらっしゃるご様子が、不吉なほどにお美しいことは、場所柄もあってさらにこの世のものとはお見えにならない。白い綾織りで柔らかいのに、紫苑色の指貫などをお召になって、濃い縹色の御直衣に、帯をくつろいだ様子で無造作になさったお姿で、「釈迦牟尼仏の弟子」とお名乗りになって、ゆったりと経文をお読みになっている(姿も)、またこの世に類のないほど素晴らしく聞こえる。
沖から舟がいくつも歌い騒ぎながら漕いで行くのも聞こえる。
かすかに、ただ小さい鳥が浮かんでいると見えるのも心細くあるが、雁が列をなして鳴く声が(舟の)楫の音のように聞こえるのを、ぼんやりとご覧になり、涙がこぼれるのをお払いになるお手つきが、黒い数珠に映えていらっしゃって、故郷の女性が恋しい人々の心が、みな慰められるのであった。

【原文】心づくしの秋風(「源氏物語」紫式部)

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり。

御前にいと人少なにて、うち休み渡れるに、独り目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。
琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、

 恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ

とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみ渡す。
げにいかに思ふらむ、我が身一つにより、親兄弟、片時たち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひ合へるとおぼすに、いみじくて、いとかく思ひ沈むさまを心細しと思ふらむとおぼせば、昼は何くれと戯れ言うちのたまひ紛らはし、つれづれなるままに、いろいろの紙をつぎつつ手習ひをし給ひ、珍しきさまなる唐の綾などにさまざまの絵どもをかきすさび給へる、屏風の面どもなど、いとめでたく見どころあり。
人々の語り聞こえし海山の有様を、はるかにおぼしやりしを、御目に近くては、げに及ばぬ磯のたたずまひ、二なく書き集め給へり。
「このごろの上手すめる千枝・常則などを召して作り絵仕うまつらせばや。」と心もとながり合へり。
なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近うなれつかうまつるをうれしきことにて、四、五人ばかりぞつと候ひける。

前栽の花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出で給ひてたたずみ給ふ御さまのゆゆしう清らなること、所がらはましてこの世のものと見え給はず。
白き綾のなよよかなる、紫苑色など奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、「釈迦牟尼仏弟子。」と名乗りて、ゆるるかに読み給へる、また世に知らず聞こゆ。
沖より舟どものうたひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。
ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも心細げなるに、雁の連ねて鳴く声楫の音にまがへるを、うちながめ給ひて、涙のこぼるるをかき払ひ給へる御手つき、黒き御数珠に映え給へるは、ふるさとの女恋しき人々の心、みな慰みにけり。

2010/09/07

Cutting Edge 3 - Chapter 10 「ああ、私のクッキーが…」

このことは実は実際の人に起こりました、そして、実際の人は私です。
私は、電車に乗るために行きました。
これは、イギリスのケンブリッジで、1976年4月でした。
私は、電車(の到着)より少し早かったです。
私は、電車の時間を勘違いしていました。
私は、自分がクロスワードをするための新聞と1杯のコーヒーと1箱のクッキーを得るために行きました。
私は行って、テーブルにつきました。
私は、あなたにその場面を描いて欲しいです。
あなたがこれを心の中で非常に明白にすることは、とても重要です。
ここにはテーブル、新聞紙、コーヒーカップ、クッキーの箱があります。
私の反対側に座っている人がいます。
そして、全く普通の様子の、ビジネススーツを着て、書類カバンを持っている人です。
彼は何か怪しいことをしそうではありませんでした。
彼がしたことは、これでした:
彼は、突然身を乗り出し、クッキーの箱を持ち上げ、それを破って開けて、1つ取り出して、それを食べました。

私は、今のこのことは英国人が非常に対処に難しいといった類のものだと言わなければならない。
私たちの背景、しつけ、あるいは教育に、白昼堂々とあなたのクッキーを盗んだ誰かに対処する方法をあなたに教えるものは、何もありません。
あなたは、もしこれがロサンゼルス・サウスセントラル地区であったならば、何が起こるだろうかわかっています。
早急に発砲し、ヘリコプターが来て、CNN(米国のニュース専門局)ですからね・・・。
しかし結局、私はどんな精力旺盛なイギリス人でもすることをしました:
私は、それを無視しました。
そして、私は新聞をじっと見つめて、コーヒーの一口を飲んで、新聞でクロースワードの鍵をつくろうとして、何もすることができなくて、考えました。私は何がしたいのだろう?

結局私は考えました。「私がそれに対してほかにできることは無い。私はただ頑張ってやってみるしかないだろう。」
そして、私はとても一生懸命に、箱がすでに不思議にも開けられたという事実に気がつかないようにしようとしました。
私は、自分でクッキーを取り出しました。
私は思いました、「これで彼に手を打とう。」
しかし、ちょっとたって彼が再びそれをしたので、それはそうしませんでした。
彼は、もう一つのクッキーをとりました。
私は最初それに言及しなかったので、二回目のその話題を持ち出すことはどうもさらにより難しかったです。
「すみませんが、私は気づかずにはいられなかったのですが・・・。」

つまり、それは本当にうまくいかなかった。
私たちは、このように箱全部を使い果たしました。
私が箱全部と言うとき、つまり、およそ8つのクッキーだけがありましたが、それは一生のように感じました。
彼は一つとり、私は一つとり、彼は一つとり、私は一つとりました。
ついに、私たちが最後に到達したとき、彼は立ち上がって、去りました。
さて、私たちは意味ある視線を交わし、そして、彼は去り、そして、私はほっとため息をついて、落ち着きました。

ちょっとたって、電車が来たので、私は残りのコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がり、新聞を拾って、そして、新聞の下に私のクッキーがありました。
私がこの物語について特に好きであることは、イングランドでまったく同じ物語を持った全く普通の人がだいたい最近四半世紀の間ぶらついていたという感覚です。
しかし彼だけは(ジョークの)オチを持ちません。