2010/10/12

【原文】関白の宣旨(「大鏡」太政大臣道長)

女院は、入道殿を取り分き奉らせ給ひて、いみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせ給へりけり。
帝、皇后宮をねんごろに時めかせ給ふゆかりに、師殿は明け暮れ御前に候はせ給ひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、事に触れて申させ給ふを、おのづから心得やせさせ給ひけむ、いと本意なきことにおぼしめしける、ことわりなりな。

入道殿の世を知らせ給はむことを、帝いみじうしぶらせ給ひけり。
皇后宮、父大臣おはしまさで、世の中をひき変はらせ給はむことを、いと心苦しうおぼしめして、粟田殿にも、とみにや宣旨下させ給ひし。
されど、女院の、道理のままの御ことをおぼしめし、また、帥殿をばよからず思ひ聞こえさせ給うければ、入道殿の御ことを、いみじうしぶらせ給ひけれど、
「いかでかくはおぼしめし、仰せらるるそ。
大臣越えられたることだに、いといとほしく侍りしに、父大臣のあながちにし侍りしことなれば、いなびさせ給はずなりにしにこそ侍れ。
粟田の大臣にはせさせ給ひて、これにしも侍らざらむは、いとほしさよりも、御ためなむ、いと便なく、世の人も言ひなし侍らむ。」
など、いみじう奏させ給ひければ、むつかしうやおぼしめしけむ、後には渡らせ給はざりけり。

されば、上の御局に上らせ給ひて、「こなたへ。」とは申させ給はで、我、夜の御殿に入らせ給ひて、泣く泣く申させ給ふ。
その日は、入道殿は上の御局に候はせ給ふ。
いと久しく出でさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて、戸を押し開けて出でさせ給ひける。
御顔は、赤みぬれつやめかせ給ひながら、御口はこころよく笑ませ給ひて、「あはや、宣旨下りぬ。」とこそ申させ給ひけれ。
いささかのことだに、この世ならず侍るなれば、いはむや、かばかりの御有様は、人の、ともかくもおぼしおかむによらせ給ふべきにもあらねども、いかでかは院をおろかに思ひ申させ給はまし。
その中にも、道理すぎてこそは報じ奉りつかうまつらせ給ひしか。
御骨をさへこそはかけさせ給へりしか。

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