2010/10/14

【現代語訳】去来抄(向井去来「此木戸や」)

此木戸や錠のさされて冬の月 其角
(酔っ払い夜更けて城門まで来るとすでに錠が下ろされていて通れない。空を見上げると、澄んだ冬の月が深々と辺りを照らしている。)

「猿蓑」に入れる句を撰んでいたときのこと、(江戸の其角が)この句を(師の芭蕉へ)書き送り、下の句を「冬の月」か「霜の月」にするか、悩んでおりますという旨を、(芭蕉へ)申し上げた。
ところが、初め(の句)は(「此」と「木」の)文字が詰まっていて、「柴戸」と読めた。
芭蕉は、「其角(ほどの者)が『冬』か『霜』かで悩むような(すぐれた)句ではない。」とおっしゃって、「冬の月」として「猿蓑」に入れた。

その後、大津(=滋賀県大津市)からの芭蕉の手紙に、「『柴戸』ではなく、『此木戸』である。
このようなすぐれた作品は一句とはいえ大切であるので、たとえ版木を彫り終えたとしても、急いで改めなさい。」とあった。

凡兆は、「『柴戸』でも『此木戸』でもそれといった優劣はない。」と言う。
(対して)去来は、「この月を柴の戸にあわして見るならば、並の情景である。
(しかし)この月を城門にうつして見ますならば、その情景はしみじみと感慨深くすばらしくて、(何とも)言いようのない。
其角が、『冬』か『霜』かで悩んだのも当然である。」と言った。

***
柴で出来た垣根は質素な隠者の住まいを代表する。その垣根を照らす月。
その情景は風情あるものだが、あまりにもありふれている。
また、「冬の月」は深々と辺りを照らすのに対し、「霜の月」は辺りをきらきらと輝やかせる。
隠者のわび住まいに似つかわしいのはどちらか。無論、冬の月である。

当時は木板印刷であったが、版木を彫り終えてしまったとしても、改めよという芭蕉の言動から、俳諧・芸術への厳しい姿勢を感じられる。

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