2015/08/18

【書き下し文】離魂記(陳玄祐)

天授三年、清河の張鎰、官に因りて衡州に家す。
性簡静にして、知友寡なし。子無く、女二人有り。
其の長なるものは早く亡じ、幼女の倩娘、端妍絶倫なり。鎰の外甥太原の王宙、幼くして聡悟、美しき容範なり。鎰常に器重し、毎に曰はく、「他時当に倩娘を以て之に妻すべし。」と。宙と倩娘とは、常に私かに寤寐に感想するも、家人其の状を知る莫し。後賓寮の選者有りて、之を求め、鎰焉を許せり。女聞きて鬱抑す。宙も亦深く恚恨し、託するに当調を以てし京に赴かんと請ふ。之を止むれども可かず、遂に厚く之を遣る。


後各各長成す。

宙陰かに恨みて悲慟し、訣別して船に上る。
日暮れ、山郭に至るまで数里なり。
夜方に半ばにして、宙寐られず。
忽ち聞く、岸上に一人有り、行声甚だ速やかなり。
須臾にして船に至る。之に問へば、乃ち倩娘の徒行跣足して至れるなり。
宙驚喜して狂を発し、手を執りて其の従りて来るを問ふ。
泣きて曰はく、「君が厚意此くの如く、寝食に相感ず。
今将に我が此の志を奪はんとするも、又君が深情の易はらざるを知り、将に身を殺して奉報せんとするを思ふ。
是を以て亡命して来奔す。」と。
宙意の望む所に非ず、欣躍特に甚だし。遂に倩娘を船に匿し、連夜遁れ去り、道を倍し行を兼ね、数月にして蜀に至る。

凡そ五年、両子を生むにも、鎰と信を絶つ。
其の妻常に父母を思ひ、涕泣して言ひて曰はく、「吾曩の日、相負くこと能はず、大義を棄てて君に来奔せり。
今に向いて五年、恩慈間阻す。覆載の下、胡の顔ありて独り存せんや。」と。
宙之を哀れみて曰はく、「将に帰らんとす。苦しむこと無なかれ。」と。
遂に倶に衡州に帰る。既に至るや、宙独り身ら先づ鎰の家に至り、其の事を首謝す。
鎰曰はく、「倩娘は病みて閨中に在ること数年なるに、何ぞ其れ詭説するなり。」と。
宙曰はく、「見に舟中に在り。」と。
鎰大いに驚き、促して人をして之を験せしむ。
果たして倩娘の船中に在るを見る。顔色怡暢、使者に訊ねて曰はく、「大人安きや否や。」と。

家人之を異しみ、疾走して鎰に報ず。室中の女聞き、喜びて起ち、粧を飾り衣を更め、笑ひて語らず。
出でて与に相迎へ、翕然として合して一体と為る。其の衣裳も皆重なる。

其の家事の正ならざるを以て之を秘す。惟だ親戚の間に、潜かに之を知る者有り。
後四十年の間に、夫妻皆喪ぶ。
二男並びに孝廉に擢第せられ、丞・尉に至る。

玄祐少きとき常に此の説を聞くも、異同多く、或いは其の虚なるを謂ふ。
大暦の末、莱蕪の県令張仲規に遇ふ。
因りて備に其の本末を述ぶ。
鎰は則ち仲規の堂叔にして、説くこと極めて備悉なり。故に之を記す。

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